卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第18回「卑弥呼のグラデュエーション」


こんにちは! ヴァイオリニストの卑弥呼こと原田真帆です。すっかりごぶさたしてしまいましたが、前回のコラムから今回までの間に、卒業リサイタルをおこない、無事に修士課程修了を果たし、現在バカンス…いえ、講習会でポルトガルに来ております。

伝統的に菓子文化が豊かなポルトガルはリスボンにて、菓子店やベーカリーの店頭で目を輝かせつつ、元祖エッグ・タルトをむさぼりつつ、でも一応マジメにおさらいしています(つもり)。

 

今日はわたしを留学前から見守ってくださったこのコラムの読者のみなさまへのご報告として、我がマスターライフを振り返りたいと思います。ここでは具体的なイベントなどに言及するのではなく、わたしが渡英に際して抱いた心情を綴ってみます。

 

 

2016年9月に入学し、2018年7月までの約2年間、敬愛する師匠と気の置けない仲間たちとともに、ハードながらも温かな日々を送りました。

もちろんこれまで学んできた環境はそれぞれに愛着があるし、多くの恩を感じています。特に大学時代にはさまざまな分野の教授との出会いがありましたし、学部時代の友人は今でもよく連絡を取り合ってはお互い励まし合える、大好きな仲間です。

ロイヤルアカデミーで新たに出会った友人は、それまで育ってきた環境が皆あまりに異なるため、お互いを理解するのに少し時間がかかったと言えるかもしれません。しかし、留学生が半数を占める環境なので、国外での暮らしで慣れないことが多い中、留学生同士は支えあいながら、そして現地の学生はとても親切に助けてくれて、2年間という短い時間ながら真に心を通わせることができたように思います。

実技のレッスンでも、やっと脳の成長が追いついたのかもしれませんが、1回1回確かに何かをつかんで帰る感覚を持てたのは良いことだと思っています。

 

 

渡英前は、留学はきっちり2年間の覚悟でした。わたしの場合、2年で帰らなければならなかった事情があったわけではありませんが、そのように自分に時間のリミットを示すことで、惰性でときを過ごしてしまうことがないよう自らの尻を叩いたつもりです。

学部時代はありがたいことに、学生ながら月に4・5回は本番を持つ暮らしをしていて、それは実際に社会に出たときのことを考えると良い訓練でしたが、一方でじっくりと楽器と向き合う時間を多く持てなかった反省がありました。

とくにわたしは、当時まだ自分の演奏家としての音楽的・技術的基礎が定まっていない感覚を強く持っていたので、足元が安定しない状態でそれだけの本番をこなしていくことは、正直かなり恐怖を感じていました。ただ当時はそれが自分の本番に対するメンタルの弱さからくるものなのか、自身に対する自信のなさに由来するものなのか、判別ができませんでした。

だから“2年間の留学”は、未来を見据えて、自分の基礎工事から改めるつもりで臨んだのでした。新しい環境に身を置くことで、甘えや妥協を断ち切るきっかけができたように思いますし、また他者の目を気にしすぎていた自分と決別できたようにも思います。

 

 

ただひとつ残念だった点を挙げれば、修士課程の期間、現代音楽のシーンに関わる機会が思ったより少なかったことです。

この2年間の“ゲンオン成分”が減ったように感じたのは、学部時代に自分が身を置いた環境はその成分がかなり盛んだったゆえかもしれませんが、ただその頃は、自分はまだまだ古典やロマン派の勉強が充分でないという後ろめたさも抱きながら、現代音楽を開拓していた部分がありました。

多くの方から「ロンドンの現代音楽シーンはいかがですか」と問われるたび、ご期待に添えるお返事ができない一抹の申し訳なさが募りますが、一方でこの2年の“リフォーム期間”を取らなかったら、将来どこかで破綻していたかもしれない、というのが正直な気持ちです。

今ならば、かつて弾いたあの曲をもっとよく弾ける、あの曲でもっと何かを表現できる、と思うのは、おこがましいでしょうか。今の自分とて決してすこぶる優れているわけではありませんが、2年前よりははるかに自由に音を扱えるようになった感覚が、この手に確かにあります。

 

 

そんなことを言いながら、結局わたしは“2年間では帰らない”という選択をしました。この9月から、同じ英国王立音楽院の研究課程に進学します。

これまでの演奏中心だった修士課程と違い、今度のコースではその名の通り研究がメインで、特にわたしのコースは「Resarch in Performance Practice」という演奏家が研究をするためのものです。何年在学してどれくらいの分量の論文を書くかによりますが、卒業時にはふたつめの修士号か、または博士号を取得できるはずです。論文を修めたら、今度こそ日本に帰ります。

以前このコラムでも書いた通り、わたしが人生で初めて抱いた夢は「指揮者になること」でしたが、その次に抱いた目標は音楽高校に入ることでした。そしてその目標を達成したのち、つまり高校時代に見つけた新しい夢が、“演奏家として論文を書くこと”なのです。

一度は実現の道筋が見えず諦めようかとも思いましたが、わたしにとって渡英のテーマが「人生の忘れものを回収する」ことだったので、せっかくなら、ひとつ大きな忘れものも回収したいと思った次第です。

 

 

というわけで、卑弥呼とホームズの事件簿は、もうしばらく新たな記録を重ねることになりそうです。新しい“事件”とともに再びみなさまのお目にかかれることを嬉しく思います。

ちなみに修士の修了直前に、とあるコンテストに応募したくてわたしの留学生活をご紹介する動画を作りました。結果的にそのコンテストでの受賞は叶わなかったものの、多くの方にご覧いただき、新たに“卑弥呼”を知ってもらう機会かつ卒業前の記念にもなりましたし、一生懸命作ってよかったなと思っています。わたしのロンドンでの暮らしぶりをぎゅっと詰め込んだので、このコラムの読者のみなさまにもぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。

それではまた近いうちに、卑弥呼がホームズの街で奮闘する様子をお伝えできるのを楽しみにしながら、今日の項を閉じたいと思います。その頃には少しは暑さが和らいで過ごしやすくなっていると良いのですが…みなさまどうぞご自愛くださいませ。

 

 

maho_harada文・絵:原田真帆
栃木県出身。3歳からヴァイオリンを始める。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学音楽学部器楽科卒業、同声会賞を受賞。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。現代音楽にも意欲的に取り組み、様々な新曲初演を務める。オーケストラ・トリプティークのメンバー。これまでに萩原かおり、佐々木美子、山﨑貴子、小川有紀子、澤和樹、ジェラール・プーレ、小林美恵の各氏に師事。現在英国王立音楽院修士課程2年在学中、ジャック・リーベック氏のもとで研鑽を積んでいる。