作曲家交友録


作曲家交友録 第1回

 このコーナーでは、現音会員作曲家の方に、友人の音楽家のことについて語って頂きます。

 最初のご登場は会長の福士則夫さんです。友人のフルーティスト、小泉浩さんについて書いて頂きました。

フルートのガラ、あるいはガラチャン。鶏ガラのように痩せているので皆、小泉 浩をそう呼んでいるが何故か私は彼を一度もガラと呼んだことはなくいつも「コイズミ」だった。藝大1年からの付き合いで、もう50年を超えている。18才の時、1年時の提出作品の中で同級の川井學のフルートのための「ソナチネ」を演奏した小泉の真っ直ぐでこの上なく清澄な音を聴き、自分もいつか彼のためにフートを書いてみたいと強く思っていた。因にフルートで同じ学年は3人いたのだが、フラッターが出来るから小泉にしたと後に川井君から聞いていた。最初に書いた彼のための作品はソプラノ・フルート・ピアノのための「序奏と三つの歌」で3年芸術祭の時だった。この難曲をサラサラ吹いてしまわれたのがウンのツキで、アルトフルート・フルート・ピッコロのための超絶技の「フォーマルハウト」、同じく同級だった伊原直子さんとの二重奏のための「輝やける手」、ほとんど協奏曲ともいえる弦楽・フルート・打楽器・のための「ZONE」、ギターとフルートのための「夜は紫紺色に明けて」、ソロアルトフルートのための「透明な空へ」、ソロフルートのための「眠る島」、ハープとフルートのための「カモメは岬を巡り」と8作品を数える。学生時代に彼の故郷である広島の呉を尋ねた旅の話、彼の新婚旅行についていった話、いかがわしい場所に一緒に出入りした話、掘ればいくらでも出てくる彼との交友録ではあるが、もう半分薄明かりの向こう側にいってしまったバカ話なので、マッサラな直近の話をしよう。

5年ほど前に湯浅譲二・池辺晋一郎・福士則夫3人とその弟子達3人のフルート6作品の会が小泉の企画で行われた。打ち上げパーティーで、この次は古希のコンサートをやるから何か書いてくれと彼から依頼された。もちろん二つ返事で了解したのだが3年ほど前から、もう書いているか?との電話、それから何回あっただろうか。本番は今年4月29日だったが急かされていたので昨年暮れに仕上げた。早速、年明け3日の彼からのFax.『…四分音符48だとかなり忙しい。42~44caの方がいいでしょう…』。この時点でタイトルは小泉の名前とフォーレの歌曲「水のほとりで」に掛けて「泉のほとりで」になっている。最後は連続したトリルで僅かに上昇し、ディミヌエンドしながらハープに寄り添う形になっていた。17日のFax.『…ほとんど吹けるようになったのだが最後の4小節が私の気に入らないフレーズなのだ。気が落ち込んでしまう。曲名を替えてもいいから上行にしてクレッセンドで終われないかな?たのむよー…』。18日のFax.『…つまり私が望んでいるのは爽やかに、清々しく、希望が持てるように終わりたいのです。もう70歳なので、一つ宜しくお願いします…』。23日のFax.『…笛のパートはものすごく良くなったね。曲全体がパリッとした、曲名もピッタリです…』。終結部の改作と主要素材が変形して何回か登場するのでタイトルも「カモメは岬を巡る」に変更した。実は最初「巡り」もアリかなと思ったのであるが、武満さんのフルートソロのタイトルなのであえて「巡る」にしたのだが「巡り」の方が余韻を残していて、この方が良いと言い張ったのが小泉で結局これに落ち着く。この後本番までダイナミックスについてのものと、息継ぎについての提案Fax.が2枚来ている。もちろんこの他に特殊奏法について、電話で聞き取りながらの確認も何回かあった。「注文の多い料理店」の店主さながらであるが彼とだからこそのやり取りであり、初演後の自発的な書き直しはあるが事前にダメ出しが出て書き直す、というのは彼との間だけの暗黙の了解事項と思っている。

おっと、例外があった。ファゴットソロの作品のタイトル「ドラゴン」に依頼主の娘からクレームがあり「竜夢」にした事がありました。
(福士則夫)