卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第6回「無伴奏の署名」原田真帆

maholmes

こんにちは、ヴァイオリン弾きの原田真帆です。
『卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿』第6回、大英博物館から連れてきたエジプトの猫のぬいぐるみと見つめ合いながらタイピングをしている卑弥呼がお送りいたします。卑弥呼ことヴァイオリン弾きの原田真帆です。

 

今回は「事件簿」というタイトルに似つかわしい内容を書いてみたいと思います。わたしなんぞが語るのはおこがましいのですが、今回はヴァイオリンという楽器がひとりでどこまでできるのかということを考えたいのです。

 

無伴奏のヴァイオリン作品のお話

ヴァイオリンの無伴奏作品というと、J.S.バッハの作品が代表的。ソロ楽器の無伴奏作品というのは、その楽器の演奏家以外にはあまり知られていないものですが、バッハのこの作品は輝かしい例外です。あまりに有名すぎて、かえって最古の無伴奏ヴァイオリン作品と思われてしまうことも多いのですが、バロック時代は無伴奏ヴァイオリン作品を作るのが少しはやっていて、それらの作品を経たからこそバッハの作品が生まれたのではないかと言われています。ビーバーやテレマンなども、今日にまで残る作品があります。

なんてことは、このコラムを読む方には、釈迦に説法でしたね。

バッハののち名作として引き継がれる作品が現れるのは、20世紀を待たなければいけません。第一次世界大戦のあとすぐに生まれたのが、イザイの無伴奏作品。そしてバルトークがソロソナタを生んだのが第二次世界大戦真っ只中。さらに終戦後にできたプロコフィエフのソナタ(もとはヴァイオリン斉奏用)。そして我らが現代音楽の時代に突入します。

イザイが筆を取ったのは、バッハの作品を聴いたことがきっかけ、形式なども真似ています。バルトークも、その端々からバッハへのリスペクトと「超えたい」という気持ちが感じられます。わたしは4年前の競楽の最初の予選で池辺晋一郎氏の無伴奏ヴァイオリン・ソナタを弾きましたが、こちらはバルトークの作品に影響されたものです。

誰かに影響を受けて生まれた作品が、さらに誰かにインスピレーションを与えるって、まぁ、当たりまえのことですが、おもしろいですよね。神秘的なつながりすら感じます。

ちなみにわたしは競楽の本選でも無伴奏作品を選び、松下功氏の曲を弾きました。歩きながら弾く曲なので一見、見た目の奇抜さに意識を奪われてしまいますが、譜面を見ているとヴァイオリンでよくここまで人の声を再現したなぁと思わされます。無伴奏ヴァイオリン作品って、まだまだたくさん開発の余地があると思うのです。

 

なぜバッハに引き込まれるのか

バッハの作品は、演奏家側も作曲家側も生涯をかけて研究する人が少なくありません。ヴァイオリニストにとっては、6つの無伴奏作品は一生関わっていきたい作品ですし、一生かけても完成しないでしょう。

弾けば弾くほど、難しさに気付かされて、17世紀にこの作品が生まれたことの奇跡を感じずにはいられないのですが、わたしはバッハ以前の無伴奏作品をまだ弾いていないため、今はその「斬新さ」を述べることができません。今回は割愛させてください。

今卑弥呼が若輩者なりに思うのは、この作品には謎が多いので、人々の探究心をあおるのだろうな、ということ。フェルメールの絵画は謎もかなり多く、人を惹きつけてやみません。バッハもそうだろうな、と思うのです。

 

%e6%a5%bd%e8%ad%9c1

 

例えばソナタ第2番のフーガでは、本来「F」の音だろうにヴァイオリンの音域の都合でやむなく「A」を奏でます。しかしハイフェッツの録音だと「F」が聴こえるという噂もあって、まさかスコラダトゥーラ…? という疑惑に震えます。

 

%e6%a5%bd%e8%ad%9c2

 

もっとも有名なパルティータ第2番のシャコンヌでは、このアルペジオをどのように弾くかは奏者ごとに主張があります。正解って何なのだろう? というエグニマ。

作曲家がバッハの作品に影響を受けるのも必然で、曲をまったく書かないわたしだって、こんな作品かけたらかっこいいなって純粋に思います(子供か。その模倣の仕方は人それぞれで、バルトークは調性や楽章構成を似せていったし、イザイは6つ書いて対抗しましたし、なんならモチーフごとがっつり使っています。

今アメリカのヴァイオリニスト・ヒラリーハーンがスペインの作曲家・A.G.アブリルと新しい無伴奏作品を作っていますが、こちらは「6つのパルティータ」となっています。あれ、この前6つ目をアメリカで初演していたような…。

していましたね。できたのか。

今年の春にこの新しいパルティータの第1番と第3番を聴きました。ごく自然に流れていくのは曲ゆえか、奏者ゆえか、その奏者のために書かれた曲ゆえか。とはいえ無伴奏らしく小難しそうなパッセージがあったので、譜面を見てみたい限りです。

 

イザイをすごいと思うわけ

個人的にはイザイがとても好きで、イザイのすごさがもっと知られたらいい、と思っています。本人がヴァイオリニストだから書けたとはいえ、新しい奏法の開発ぶりはパガニーニに劣らないのではないでしょうか。思えばパガニーニ作品はバッハとイザイの間に生まれた、唯一無二の存在ですね。

 

%e6%a5%bd%e8%ad%9c3

例えばこの楽譜の2つ目の和音。ヴァイオリンは同時に鳴らせる音は4つまでという概念を見事に打ち砕いてきます。6つですね、6つ。これはヴァイオリンはがんばったところで四和音を弾くときには多少アルペジオ風にばらけてしまう、という弱点を逆手に取り、カッコ付けされた下のふたつの和音が響いているうちに上の4つを重ねて、あたかも6つなっているかのような音響効果を生みます。

いや、ゲンオンのサイトでこんなこと説明するのは本当にお釈迦に説法しているようなことだってわかっているのですが、興奮を抑えられません、だって…

これを最初に思いついたのって、すごくありませんか???

これを思いついた瞬間のイザイを想像すると、わたしはいつもトキメキを感じます。さぞドキドキ、ワクワクしたでしょうね…!

 

%e6%a5%bd%e8%ad%9c4

 

わたしがもうひとつだけ熱弁したいのが、このウネウネ音形。見るからにいやらしい音形ですが、妙に指が回るのです。ヴァイオリンの移弦と運指を絶妙に駆使しているために、こんなウネウネ音も、嫌ではない。微分音も大丈夫。なんとも不思議ですよね。

 

新しい奏法を探して

無伴奏作品って弾くほうも気合が入るもので、ちょっと難しい奏法が入っていたら、つい燃えちゃうんですよね。
しかしヴァイオリンには運指の都合上どうしても出せない和音があることや、自然な運弓はなかなか知られていないな、と感じてしまうことが少なくありません。まぁ、難しいですよね、左手の並行移動が生み出す運指のメカニズムは、ヴァイオリン奏者のほうも感覚に頼りすぎていて、言葉で説明しろって言われたらものすごく難しいです。

だから、作曲家が書いているそばから一緒に楽譜に向き合えたらどれだけおもしろいだろうか、って、ときどき考えます。

まずは奏者として無伴奏についての見聞を広めるべく、今はテレマンとベルクに興味があります。卑弥呼の無伴奏の捜査はまだまだ続きます…。

 

 

maho_harada文・絵:原田真帆
栃木県出身。3歳からヴァイオリンを始める。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学音楽学部器楽科卒業、同声会賞を受賞。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。現代音楽にも意欲的に取り組み、様々な新曲初演を務める。オーケストラ・トリプティークのメンバー。これまでに萩原かおり、佐々木美子、山﨑貴子、小川有紀子、澤和樹、ジェラール・プーレ、小林美恵の各氏に師事。