アンデパンダン展レポート


アンデパンダン展に参加して

アンデパンダン展 第一夜出品
曲名:Blue Scale Tracing(2017)再演
演奏:小林倫子(ヴァイオリン)
                                         神長 貞行

私にとりましては初めての出品で、恥ずかしながら年甲斐もなく緊張致しました。お世話になりました現音協会関係者の皆様をはじめ、多くのスタッフの皆様に、心から感謝を申し上げます。また、このような素晴らしい発表の場を頂き、皆様と共に貴重な時間を共有できましたこと、得難い大きな喜びでございます。ありがとうございました。
冒頭、国際部長の福井とも子さんのご挨拶の中にもご説明がありましたが、今回は韓国の若い作家さんの作品がご披露されました。私は都合により第一夜にしか伺えませんでしたが、お二人の感性あふれる作品は本当に素晴らしく、感動いたしました。
また、ずらりと並んだ国内作家の皆さんの作品もいずれも佳作揃いで、しかもどれ一つとして個性が被らないという、独創的なもの。これこそアンデパンダン展ならではの醍醐味だろうと思いました。実に楽しかったです。
拙作に関しましては、抜群のテクニックとセンスを持たれる小林倫子さんの名演に助けられまして、内に描いていた幽玄の世界が見事に浮かび上がったように思い、満足しております。
ありがとうございました。
次回また都合が整えば、ぜひ出品させて頂きたいと思います。

 

 

現代音楽の病根を除去するにはコンサートを魂の混浴の場にするのが一番

―現音・秋の音楽展2018アンデパンダン展、出品作サックストリオについて
(プログラムの文章、並びに現音HPの「出品者からのメッセージ」に続くものとして)
                                      ロクリアン正岡

10年以上前にも「芸術音楽に大衆性は必要か!?」が現音機関紙で特集されたがこれは現音が長く罹患するトラウマだろう。がそもそも二つに分けるところがまずいと私は思う。
片や芸術性(とりわけ現代音楽的最先端性)、片や大衆性(ポップス)をそれぞれに誇るトラウマ無しの作曲家も含めての話である。ちょうど男女共同参画とはじめから男女別に拘る前提を設けておきながら、「個人によるから男女の違いに拘ることはない」、と来るのと同じ理屈だ。

リゲティやクセナキスなどのメッセージ性のない、でっち上げのコンセプトで構えられたデザイン音楽が現代音楽の主流(筆者の見方)という状況下、日本人の多くの作曲家は自らの良心を芸術性、大衆性の両極に引き裂かれながらも主流に身を任せてしまっているようだ。クセナキスのザスにせよ、リゲティのハンガリア風パッサカリアにせよ、まるで作曲者の音響や音組成の支配力を誇示するための見世物だ。ああ、音楽本来の役目を放棄した作品主義者とは?!

いずれにせよ、現代の知者の一人養老孟司氏唱えるバカの壁は、いたるところ、そう芸術、音楽内部でも増える一方のようである。

私はある時、自転車を引っ張って歩くオバサンバイクをすっ飛ばす少年のすれ違う様を目の当たりにした。冷たい「バカの壁」が両者の間に高くそそり立ったことは間違いない。それは同時にこの作曲への意志が芽生えた瞬間でもあった。自転車は乗って走らせるべき物〈引き摺って歩くなど残酷ではないか〉。私は「老女というもの(現在名「メランコリア」ユーチューブにあり)」をその直後に作曲したが、それは少年の方のバカの壁を取り去る目的であった。今回、私は客席の主役をオバサン達とし、その「壁」をぶち壊そうとしたのである。

以下はオバサンではないがバイクには縁がなさそうな76歳の男性からのコメント(全文)
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演奏会楽しませていただきました。「バイク少年三人組ライブ」は仲の良い3人の語らい。人間がしゃべるようなサックスの音色でいい曲が出来ましたね。耳に入る音から映像が見えるような3人のドラマを感じました。久しぶりに集まった3人がそれぞれに近況を語り、勝手なおしゃべりが続く。そのうちにリーダー格のバリトンサックスが話をリードして他の2人を指導するように語り始める。二人はリーダーの言うことに耳を傾け、うなずくように同意を語る。リーダーはなお説得力ある語りを続けるうちに、他の二人はそれに同意と喜びを表し大きくうなずき、声をあげる。そのうち3人は話が合い、一緒にいる事がこんなに楽しいよ、さあ今日もバイクで一緒に走ろう、そうだ、そうだ、私たちはいい仲間だ、これほどうれしく楽しいことはない。そうだ、そうだ!
サックスはいい音を出します。人の声のようだ。音楽がいろいろの言葉を連想させる。仲の良い3人の楽しげな会話、それもバイク仲間ならではの普通でない心のリズムがある。独特でなおリズミカルな調子はいつものように和音の美しさを損なわないように配慮した音階で違和感なく耳に響いた。人をおどかすような奇抜な音を出さず「特殊や断片への偏愛」を出さず、現代音楽としてそれを頼りとせず、音楽的で心で聞くことが出来た。飽きさせない展開、迫力があり、バイク少年3人のやんちゃぶり、まじめさ、意気投合などの進展が感じられ、最後まで緩むことなく、期待感を持たせて音楽が進み納得の心地良さがあった。この曲はいろいろな場と音楽家によって演奏されることになるように思いますが。
直感的な感想を書きました。                春宮伸光:カトリック浅草教会信徒

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私は自分の個性を克服されるべき“異物”として用いるところの普遍主義者である。現代の世界を見渡せば、芸術に貴族や大衆の区別は不要と思う。現代音楽に徹底的に欠けているのは根深いメッセージ性(“表現の種”たりうるもの)であろう。作品はメッセージも持たない作曲者の空しさを隠すためのお飾りであって良いのか?美は蓋ではない。内なる真実の輝き出でる様、それが美である。現代音楽のコンサート会場は“魂”の混浴の場である事が理想だと、私は思う。

*なお、クリスマスまでにコンサートライブの模様をユーチューブに投稿できていると思います。どうかお確かめください。                               2018.12.22

追記:アンケート用紙は配られたが回収されたのは一枚。場内アナウンスが欲しいところ。
楽譜の陳列については予め出品者に呼びかけられたい。特例として許されても気まずさが残る。

 

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