卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第19回「卑弥呼、ドクターを目指す」

こんにちは! ヴァイオリニストの卑弥呼こと原田真帆です。こちらのコラムはうんとご無沙汰してしまいました。

前回の更新は2018年の8月で、修士課程の卒業をご報告したのですが、2018年9月より、改めて英国王立音楽院の博士課程に進学しました。今日はわたしが博士課程に進学してからのツイートとともに、授業内容や活動の様子について書いてみたいと思います。

 

「論文を書いてみたい」

そもそもどういった経緯で博士課程に入学したのか。2017年秋、わたしは次の夏に控えた修了を前に進路を考えていました。そのときに、自分の心に浮かんだのは“研究をして論文を書きたい”という希望でした。

通っている英国王立音楽院に博士課程もあることは知っていましたが、博士の学生と校内で会う機会はほとんどなく、その実態は当時のわたしにとってずばり謎でした。そこでチューターと呼ばれる、いわば担任の先生のような人に会いに行き、進路相談をしたいと話題を持ちかけました。自分がジェンダーの研究に興味があることを話すと、先生はこの学校に19世紀のサロンで活躍した女性音楽家について研究する先生がいることを教えてくださり、会って話をすることを勧めてくれました。

11月半ば、紹介してもらった教授の部屋を訪ねました。音楽家のジェンダーについての専門家に会うということで、このときわたしはかなり緊張していました。自分の考えに自信がなかったからです。でも演奏において日頃感じていたジェンダー観について恐る恐る打ち明けると、教授はわたしの考えに賛同してくれて、思いがけず話が弾み、この先生のもとで研究することを目指してみたいと思いました。

2018年1月に願書と博士課程で研究したいテーマに関する約2500単語の小論文を提出し、書類審査を経て、3月に面接に呼ばれました。面接では博士課程の指導をする教授たちと、小論文の内容について約40分間のディスカッションをおこない、3月末に合格通知をいただきました。

夏休みにイギリス国内で小旅行をしたときの1枚

博士課程というと、それぞれの専攻の学士・修士の先にある印象を覚えますが、英国王立音楽院の場合は、博士課程がそれぞれの学科から独立して“研究課程”という独自の部署を形成しています。専攻ごとの縦のつながりよりも、課程の中の横のつながりのほうが強いです。研究課程全体での会合が2週間に1回開かれ、そこではゲストの話を聞いたり、あるいは上級生によるプレゼンテーションがおこなわれます。

在学する学生のおよそ半数が作曲家で、セミナーと呼ばれるこの会合では、必然的に作曲家の話を聞くことが多くなります。おもしろいことに内部進学者はさほど多くなく、いろいろな環境で研鑽を積んだ人が集まっていて、年齢も母校も出身も本当に多様です。ちなみにいま在学している人の中で、わたしは最年少みたいです。

競楽で入賞させていただいたときには19歳になるやならずやだったわたしも、昨年末に25歳を迎えました。普通だったら学校にいれば最年長、社会人だったら後輩が少しずつ増え始める年頃にあっても、自分が最弱になれる環境に身を置けることをありがたく感じています。

セミナーという授業はとても贅沢で、毎回教授陣が5、6人同席して、卒業生や上級生のプレゼンテーションがおこなわれる日には発表後に質疑応答の時間を設けます。この質疑応答は博識な教授たちによってものすごく高度な質問が矢継ぎ早に飛んできて、先輩たちもたじたじ、答えることにかなり苦戦しています。

先月のセミナーの終わりに、主任の教授が「6月のプレゼンのスロットが空いてるけれど、誰かやりたい人いる?」と問いかけると、わたしの指導をする教授がこちらを見て「どう?」という顔をしました。ちょうど口に運んでいた紅茶を吹き出さぬよう丁寧に飲み込んでから、わたしは「 I have no confidence.」と答えました。でも学期末にはその教授たちの前で発表をおこなって進級判定を受けるわけで、だったら失敗しても学生生命に支障がない授業内で一度打たれてきたほうが賢明と思い直し、後日教授にそう伝えました。今から質疑応答を考えるだけで震える思いですが、それもまたそれ、学生冥利に尽きます。

よその学校の博士課程との交流もあります。10月にはフィンランドのシベリウス音楽院との合同セミナーがロンドンで開催されました。シベリウス音楽院の引率教授がなんと日本人で、お声がけしたところ、ほんの少しお話ししただけでいくつものアイデアをくださり、感銘を受けました。この日は両校から計5人のプレゼンターが1時間ずつプレゼンと質疑応答を担当し、両校の教授から質問の嵐が降り注ぎました。答えるのがなかなか難しそうな場面もありましたが、それによって学生たちは今後の課題を見出していきます。

この日帰り道を歩きながら、教授たちや先輩たちのように博学になりたいと切に思いました。来年の同校の訪問時にはプレゼンターとしてそんな教授陣の鋭い質問を受ける立場にいられたらいいなと野望を抱く反面、質問の英語を理解して答える自信がまだ持てないというのも正直な感想です。これまでに積み重ねた語彙とはまた異なる分野の語彙が必要だと日々痛感しています。

昨年末には日本に帰国して、母校の図書館に立ち寄っては日本の西洋音楽創成期のことを調べていました。英国での日々が濃厚だったので、なんだか数年越しに帰国した気分でした。日本語でも文献を読むのってエネルギーを必要とすることなのだから、母国語ではない文献を読むにあたってより努力を要するのは道理だよな、としみじみ考えました。

日本滞在中に、ある方から「博士論文を再編して出版とかしないの?」と訊かれて、その目標はいいなと思いました。もともと自分の論文は何らかの形で日本語にして世に出したいとは考えていたので、著作の出版を目指すのはいいモチベーションと言えましょう。夢は大きく持ちたいと思います。

研究は地道な下調べを必要としていて、表に出せる結果のようなものは限られます。ゆえにわたしのSNSには相変わらずのんきそうな投稿が散見されますが、今日はこのコラムを通して博士課程の日々の真面目な側面を綴ってみました。わたしの実際の研究については、別の項でご紹介できたらいいなと思います。それではまた次回お会いいたしましょう。

文・絵:原田真帆
栃木県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学器楽科卒業、同声会賞を受賞。英国王立音楽院修士課程修了、ディプロマ・オブ・ロイヤルアカデミー、ドリス・フォークナー賞を受賞。2018年9月より同音楽院博士課程に進学。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。これまでに萩原かおり、佐々木美子、山﨑貴子、澤和樹、ジェラール・プーレ、小林美恵、ジャック・リーベックの各氏に師事。