フォーラム・コンサート レポート


 

・ロクリアン正岡(11月29日出品)
・田口雅英(11月29日出品)


フォーラム・コンサート第2夜に
演奏者全員の大いなる協力のもと
参加し終えて思う事

                                      ロクリアン正岡

 

「宇宙の有りようにできるだけ忠実な音楽実現への道」

楽曲というものが作曲家の技術、実現する音楽への結果先取り能力によるとすれば、作曲家の限界内に楽曲や音楽を留める事になる。
バッハを例に取ろう。その構築力を心棒とする完成度と芸術性の高さには驚嘆するも、いかにも作曲行為発の製品に過ぎない。神業であっても、ならば「神業発の製品」と言い直せば同じ事。ならばこの世?この宇宙?一体、聖書創世記の方針や見立ては正しいのか?
 昔から労働は重んじられてきたらしい。しかし鑑賞行為においては「力を抜いて音楽と一体になる」、つまり「楽(らく)をして受益する」というのが基本姿勢ではないか。料理の成果は食事において実現し、医療の成果は患者において実現するもの。料理も医療も成果は相手に委託されているのだ。それ以前、たとえば薬の成分の化学式がいかにも見事で理論的に検証されたとしても空しい話だ。
 ところが、現代音楽作品への評価は旧態依然どころか、日本音楽コンクールにおいては演奏審査がなくなり、純粋な作曲力がより重視される始末。
広く人類の価値観をみれば、そもそも発生、進化が良く、エントロピーの力は良くない物とされる。人間の在り方に関しては、両者の価値の差はより強調され、前者は宝扱いされ怠惰は「豚並み」と決め付けられる。ところが私は高度な組織への方向とエントロピー増大の方向は車の両輪と信ずる立場だ。その点、演奏は「努力」と「楽(らく)する」の両方を併せ持っているしそれが公然と認められているジャンルだ。
今回、演奏者、Fl.(Picc.)大岡三佐子、Cl.園田知潤、A.Sax.椿義治、S.Sax.國末貞仁、Hr. 山口祐貴子、Eu.安東京平、Tu.本橋隼人、Pf.新居由佳梨、全ての皆さんから「やってよかった」との感想文を頂いた。文字数制限で三つ、無編集で引用。

本橋隼人(代表)
 シュピール室内合奏団の新たな魅力を引き出してくれる三曲に出会い本当に感謝しております。ロクリアン氏の考え抜かれたアレンジの上にシュピールのサウンドが乗って出てくる音が本当に好きです。合っています。各楽器の親和性、木管楽器の繋がりがリハーサルをしていても勉強になりました。そしてこの曲達を特に音大生にも挑戦してほしいと思っています。そのためにはシュピールが伝えていく、いや、いかなければいけないと思っています。お客さん層の特徴など現代音楽はより強そうなイメージもあり、生演奏が薄れているこの時代で新規のお客さんを連れてくるのは並大抵な事ではない事は僕自身もコンサートを企画する上で十分承知ですがやはり心が震える事は生演奏以外にはないと思っているので続けていきたいと思います。ありがとうございます。

國末貞仁
 私たち演奏家は作曲家の方が創造した作品を再現することが仕事です。作曲家の方と直にお会いして、作品への熱い想いをお聞きすることは、同じ時代に生きる私たちだけに許される特権だと思います。その貴重な機会を与えていただけたことを感謝し、これから先も今回演奏した作品たちが再演され、後世に受け継がれていくことを願っています。それこそが私たちが生きた証だと思うからです。

新居由佳梨
 今回初めて現音コンサートに出演させて頂きました。多種多様な作品が多い中、珍しい編成のシュピール室内合奏団の為に書かれたロクリアンさんの作品は、各楽器の特性や楽器の可能性の限界まで引き出して頂き、この楽団ならではのサウンドを作り出して下さいました。個人的には、客層及び作曲者の年齢層が高めである事に、クラシックコンサートに抱く同じような深刻さが垣間見える気が致しました。

会場アンケートも8枚全部好意的なものでしたが一つだけ無編集で引用させて頂きます。

○第4題目のロクリアン正岡氏の作品。名曲の程良いシャッフルが気に入った。

○ピッコロ、フルート、クラリネット、as、ss、ホルン、ユーフォニウム、チューバ、ピアノの現音にしては大編成の大作になっており、お得感とサラウンド感抜群である。

○シュピール楽団の底力からくるものなのか、作曲家の力量によるものなのかは、わからないけれども、アンテナを張っておきたい。

 

*より詳細はホームページ(新URL locriansaturn.com)へ

*なお、当日の模様は収録映像が届き次第、ユーチューブに投稿させて頂きます。

 

 

 

                                   田口雅英

 「新しさとは何か」―今年の現音作曲新人賞のテーマであるが、この問いは新人賞に応募する若い世代の作曲家だけなく現代の作曲家すべてが答えを模索している問いではないだろうか。そのような思いを持ちながら、フォーラムコンサートの第一夜と第二夜を聞いた。

   ある共有された時代様式や決定的な新しさというものがもはやなくなってしまったこの時代に、それぞれの作品がそれぞれのアプローチで真摯にこの問いの答えを模索しているように感じた。それぞれの曲に共感したり・面白い音の出会いに驚かされたり・演奏者間の丁々発止のやり取りに引き込まれたりなど、私にとってはいろいろな気付きのあった公演であった。

     今回私は、邦楽器の作品(三味線弾き歌いの2重奏)を出品した。邦楽器は、良くも悪くも「伝統性」を強く背負っている。 邦楽器のための作品では、私はこれまで、伝統的なパターンなどを非伝統的に再利用することはできないかと考えて作曲を行ってきた。今回も、その方向で作品を構想することにした。

     古典曲では、多くの曲で共通して見られる幾つかの決まったパターンがあり(「手」などと呼ばれる)、それが様々に組み合わされて曲が構成されている。また曲の構造の土台部分にも、既存の曲の構成が使われている場合もある。

     西洋的な意味での「創造性」という概念からはかなり遠い思想がそこには感じられる。だがこうしたありふれたパターンや伝統的あるいはそれを模した響きを、古典的な使用法から少しずらして古典的なパターンの踏襲とそれからの逸脱をうまく組み合わせたりすることで何か新しいものが生まれるのではないだろうか。

     今回の曲で言えば、偽古典的なフレーズ(例えば地歌的であったり: 古典的なパターンは多く使われているが、歌と三味線の関係などはかなり古典からはかけ離れている)を演奏する二人の奏者が、異なるテンポと主音の異なる旋法で重なる部分などを作ってみた。
      こうした試みを通じて、聞いて下さった方に何かしらの新しさや可能性を感じて頂けたのであれば、うれしい限りである。

      この曲のもう一つの大きな特徴は、弾き歌いの2重奏ということであろう。私は、邦楽器奏者や地域の民謡の伝承者などの歌声や発生にとても魅力を感じている。それは、彼らの声が日本語の響きをとても美しく表現しているからだ。

     今回の演奏者山本ゆきのさんは、端唄・小唄・俗曲などのジャンルの古典や、その古典を現代的にアレンジした演奏などの分野で活躍されている。
     もう一人の奏者中井智弥さんは、25絃筝の奏者として多方面で活躍されているが、古典の地歌の筝・三味線のしっかりとしたバックグラウンドもお持ちの演奏家である。

      お二人とも魅力的な声としっかりした古典のバックグラウンドをお持ちで、現代音楽を専門的に演奏している奏者ではないものの、現代音楽分野の経験も豊富にお持ちの演奏家である。今回の作品のようなアイデアを具現化して頂くには理想的な演奏者で、お二人に演奏していただけたのは、非常に幸運であった。

      山本さんには、これまでも何度か私の弾き歌いの曲(ソロからアンサンブルまで)を演奏していただいており、中井さんにも私がまだ大学院生の頃、今回の作品に近いアイデアの作品で演奏に加わっていただいたことがある。

     そういった経緯や、お二人が25絃筝と三味線のユニット「Maruya」で活動されてお互いに気心が知れていたこと、そしてお二人の真摯な姿勢、これらのおかげで、作品完成から演奏までの間が短く特殊な合奏形態を取ったにも関わらず、最終的にすばらしい演奏に仕上がり、曲の未熟さをうまくカヴァーしていただいた。

      いろいろとご無理をお願いしたにも関わらず、全力でこの作品に当たっていただいた演奏者のお二人と、当日会場に来ていただいた皆様、現音の関係者の皆様に感謝を申し上げ、このリポートの終わりとしたい。