11月 20

アンデパンダン出品者メッセージ2017


アンデパンダン出品者からのメッセージ 

アンデパンダン出品者からのメッセージを50音順で紹介します。

 

◎ まずは植野洋美さんからのメッセージです。

Emission III – for piano solo   (第2夜)

Emissionとは光や熱、香気などの放射を意味し、そこから音の放射というイメージを膨らませて作曲したソロ作品のシリーズとして命名した。Iのフルートソロ作品は’12年に浜離宮朝日ホールにて現音主催の<現音・特別音楽展2011>で多久潤一朗氏によって、またIIのピアノ演奏とライブエレクトロニクス作品は’13年に豊中市ローズ文化ホールにてSé.主催「Sé.現代音楽作品展」で作曲者自身によって初演された。今回のIIIはピアノソロにより、昨年他界した父を追悼したいと思い、できる限り自由な発想を大切にしながら作曲した。

 

神戸女学院大学、大阪音楽大学大学院修士課程、東京芸術大学大学院修士課程、エリザベト音楽大学大学院博士後期課程の各作曲専攻を卒業及び修了。Ph.D.。神戸女学院大学クラブ・ファンタジー賞、吹田音楽コンクール作曲部門第1位、大阪音楽大学コンクール奨励賞、エリザベト音楽大学学長表彰他受賞、国際ピアノデュオコンクール作曲部門、現音新人賞他入選。フェリス女学院大学、エリザベト音楽大学の各講師を経て現在、植野音楽塾塾長、植野音楽芸術・電子技術研究所所長、東京かつしか作曲コンクール企画委員会会長。日本作曲家協議会、日本現代音楽協会、日仏現代音楽協会、日本音楽学会、日本音響学会、IEEE(米国電気学会)他会員。作曲、後進の指導の傍らピアノ打鍵フォームに関する研究をIEEEや国際表現科学学会等の国際学会や日本音響学会等で発表。

 

◎ 次は河内琢夫さんからのメッセージです。

ソナタ・パシフィカII    (第1夜)

今回、私はディジュリドゥとチェロ、打楽器のための「ソナタ・パシフィカII」という作品を発表します。ディジュリドゥとはオーストラリア先住民アボリジニの楽器で、それはシロアリに中心部を食べられて筒状になったユーカリで作られた大変シンプルな楽器です。その起源は一千年前とも一万年前とも言われ、多くの謎に包まれていますが、人類最古の楽器のひとつであることは間違いないでしょう。構造的には大変シンプルですが、その音はまさに木霊、あるいは大地の神の声そのものと言ってもよいほど神秘的です。私は今度の作品でチェロに人間を、ディジュリドゥに自然を象徴させ、その二つを組み合わせることで人間が自然と一体化する、人間が自然のゆりかごに再び包まれる、という、おそらくは人類が遥か昔から夢見ていたであろうヴィジョンの一万分の一か一億分の一でも表現できたら、と思います。ディジュリドゥを担当するのは日本における第一人者、哲J氏。おもに映画音楽や先鋭的なロックのシーンで大活躍する大変クリエイティヴなアーティストです。チェロは長年私の作品に携わってくれている井上雅代氏。

打楽器は今回、私が担当します。先日、井上氏とだけリハーサル兼打ち合わせを行いましたが、大変よい手応えを感じました。皆さん、ぜひ聴きにきて下さい。

 

◎ 次は高嶋みどりさんからのメッセージです。

『想』〜フルートとコントラバスのための     (第2夜)

 

作品は夢幻能のような構想を持ち、渋くて甘美な色合いや、日本独特の時間構 造を持つような演劇作品を制作したいと考えながら作曲しました。

場面は晩秋の水辺。とある老年の男女が佇む。あたりには黄紅緑が混ざり、舞 い落ちた葉を漂わせる水面から突如羽音を立てて飛び立つ鳥の群れ。冷たい 風、凛とした空気、静けさ、かさこそと擦れる葉音・・・。 しばらくすると、コントラバスの長いハーモニクスのまわりを纏わりつくよう にフルートが奏でる場面となる。眉目秀麗な若い男女が戯れるのどかで甘美な 情景を表現している、夢の中での出来事のように美しい回想シーンである。 ひとときの幻想を見た後ふと現実に還ると、そこには又より添う老年の男女の姿。

コントラバスとフルートは、太鼓や大皮、笛や尺八などの和楽器等の多様な音 色表現も要求されるだけではなく、あたりの風景や気配の描写もしながら、見 た目でも(現実の奏者自身が)老若の男女に扮して心理的な揺れや変化の表現 も要求される等、一人何役もの役柄や役割を演じたり表現することが求められ ています。

下払桐子、佐藤洋嗣 ,両氏のすばらしい演奏で初演していただけますことをと ても嬉しく有り難く存じております。又、このたび発表の機会をお与えくださ いました現音の諸先生方や関係者の皆様方に、深く御礼申し上げます。

◎ 次は高原宏文さんからのメッセージです。

弦楽四重奏曲のための手鑑      (第1夜)

 

グローバル化した現代社会の中で作曲という行為の持つ意味、そして自分が手掛ける技法と民族性の関連等々、未だに明快な答えが見出せない中、弦楽四重奏曲と言う最も密度の高い編成の曲をどの様に書くか、試行錯誤の中での作業でした。

 

◎ 次は露木正登さんからのメッセージです。

セレナードII~バセットホルンとハープのための(2017)      (第1夜)

 

今年2月1日、「デュオ・コンチェルタンテII(幻想曲風に)」というタイトルでバセットホルンとピアノのための作品を初演した。そのとき、バセットホルンのための作品を連作することを予告していたが、これはその第2作目にあたる。

バセットホルンのためのデュオ作品ということで、前作と同じような感じになることを避けるためにピアノではなくハープとの組み合わせにしてみたのだが、意欲的だったのはそこまでで、五線紙を広げるとたちまち気力をなくしてしまった。ハープという楽器のために曲を書くことの困難さはよくわかっていたつもりであるが、作曲は当初の予想通り、非常に難航した。

前作と同じ5楽章形式であるが、この「セレナードII」は両端楽章(第1と第5楽章)だけでも、あるいは3つの中間楽章(第2、第3、第4楽章)だけでも演奏することが可能である。また、全曲演奏する際にも、3つの中間楽章は任意の1つあるいは2つの楽章だけを取り出して演奏してもかまわないし、3つの中間楽章の順番を入れ替えてもかまわないという構成になっている。

前作の場合は、全5楽章の順序を入れ替えたり省略したりすることは絶対に不可能で、全5楽章がひとつの音楽的な流れの中に確定的に構成されていたが、今回の「セレナードII」は同じ5楽章制でもそれらがひとつの音楽的な流れの中に確定されず、演奏のたびに構成を変更できるところが前作との大きな違いである。

第3楽章のハープ・パートは、来年2月に開催される「ショートピース展」のために書いたハープ独奏曲「アラベスク」の前半部分がそっくりそのまま使われていて、あとからバセットホルンのパートを重ねたものである。本当は石井眞木の「遭遇II」のように別々のスコアを同時演奏する、みたいなことをやってみたかったが、私にはそれは難しすぎる課題であった。この第3楽章を「アラベスク~ハープ独奏のための」に差し替えて演奏することも可能で、その際、バセットホルンは全休となる。

私はいわゆる特殊奏法、楽器から新奇な音色を得ることにはあまり関心を持たないが、音楽の時間構成についてはいろいろと実験するべきだと思うし、まだまだ大胆な発想ができず平凡な曲に終わっているが(発想してもそれを記譜するための方法が見つからない)、今後も音楽の時間構成については自分なりの実験をしたいと考えている。

 

◎ 次は松岡貴史さんからのメッセージです。

アルトと三味線のための「古今春秋夜」  (第1夜)

今から千年以上も前の平安時代に編まれた古今和歌集。本日は、春の夜、秋の夜を詠んだ二首をアルトと三味線でお届けします。

1.春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる(凡河内躬恒)

[春の闇は、梅の花の色を見えなくしても、香りを隠せるだろうか。]

2.天の川 浅瀬しら波たどりつつ 渡りはてねば明けぞしにける(紀友則)

[(彦星が)天の川の浅瀬がわからず、白波をたどっても(織姫のいる)対岸に渡りきれないうちに、夜が明けてしまったよ。]

三十一文字の言外に込められている想いや情趣を読み解き、想像の翼を広げるのも、興味深いことです。小川明子さんと稀音家治乃さんの阿吽の呼吸をお楽しみください。

 

東京藝術大学作曲科卒業,同大学大学院修了。1981年,ドイツ学術交流会(DAAD)の給費留学生として渡独。1982年シュトゥットガルト市作曲賞,1985年エルディング・オルガン曲国際作曲コンクール第1位,第30回徳島県芸術祭最優秀賞(1996年)他の受賞。最近では特に,「中国・四国の作曲家in徳島」(2012年,2016年)など,地域文化貢献・子ども達参加を含む現代音楽の祭典のプロデュースや,「満月の夜の伝説(ミヒャエル・エンデ)」(2012年),「竹取物語」(2017年)など,音楽・朗読・映像コラボ作品の制作・公演にも力を注いでいる。現在,徳島文理大学教授。鳴門教育大学名誉教授,日本現代音楽協会,日本作曲家協議会,日本音楽表現学会会員。

 

◎ 次は桃井千津子さんからのメッセージです。

Let the Cat Out of the Bag     (第1夜)

 

本作品は、イソップ物語に基づくネズミや猫、鳥たちの回想です。

ギターソロに他の音も含まれていて、非業の最後を迎えた鳥たちへの祈りを表します。

現代社会における矛盾や格言が大きなテーマで、連作のうち一部分の発表となります。

以下、プログラムノートとは別の角度から、コンセプト詳細を書かせていただきます。

 

創作の根幹

「再演可能」・・身近な楽器による小編成の作品で、3.11や自らの経験に基づきます。

「印象的な旋律」・・特殊な音階が現れる箇所や、対称となる小節間の反復で表現します。

「無駄な音の削除」・・なるべく少ない音での良い配置、永遠の課題です。

「制限項目」・・本作品に関しては、数字や確率、対称性、特殊な音階など使用します。

 

これまでのあらすじ(《ベル・ザ・キャット(猫に鈴をつける)》より)

 

1.2016年初演(第1部~第3部)

猫に鈴をつける事を嫌がるねずみたちが首輪をたらいまわしする(嫌な事を引き受ける)。

・・・演奏者全員が鈴付き首輪をバトンリレーのように渡す演出付き。ピアノ2、プリペアドピアノと歌3、ヴィビラフォン2の3部構成。

※最後に鈴はピアノの蓋に入れられましたが、うっかり回収し忘れ、その後は不明です・・

 

2.2017年初演(第4部、間奏曲、第5部)

一方猫は、鳥たちをだまして家に呼び、一匹残らず食べる(簡単に信用できない)。

・・・指揮付き室内楽と電子オルガン伴奏付き歌の中間部を持つ3部構成。

 

3.(第6部~第8部)

ねずみを救う救世主(犬)が登場(良い日は誰にでもある)。

・・・第7部が本作品にあたり、残りは未完。「犬テーマ」が次回のスピンオフ作品予定。

 

・・・・・読んでくださり、ありがとうございました。・・・・・

 

◎ 次はロクリアン正岡さんからのメッセージです。

音楽昇華術 I「ある夫婦の物語」    (第1夜)

 

我が理念空間を2017年アンデパンダン展直前の観点から語る 

“魂”を仲介項あるいは共通項として片や霊と、片や心とがある。人間誰しもそうなのではないか?果たしてロボットは自分というものを意識できるだろうか。出来なければ自分というものも存在していないことになる。自分のあり方は人それぞれだがそれを対象化する機能は“何者でもない無”であり、だからこそ自分というものを実感できるのだ、と思う。霊は、それ自体としては“無”ではないが、自分に対しては「自分でない」ものとして鏡のように振舞える“無”なのである。意識とはそういうものだろう。

今回の作曲では、自分の心の中で妻になったり夫になったり豊田真由子になったり男性秘書になったり、と忙しかったがやはり常に明鏡止水の心境にあった。なぜなら楽曲のどの瞬間にも全体感が現存してしかるべきだからである。

私の大好きな絵画鑑賞。まずは全体が与えられ、そのなかで自由に視線を動かすことが出来る。音楽はその運びそのものが“視線の動き”であり、人々が普段から持っている意識の全体感が“それ”に従って変容し一枚の画布となって行く。だが、楽曲の演奏が終了した時点で果たして我々は生々しく画布を目にし得ているだろうか。いや、我々は画布の中身のようでもあり、はたまた朧気にそれを見ている視線のようでもある。

だから音楽は、心とも、霊とも言い切れず、魂のあり方に一番近いように思えるのだ。

霊と心とを繋ぐもの、あるいはその重なり合う部分が魂。といっても音楽は魂そのものではない。“魂に寄り添う女”だというべきだろう。ストラヴィンスキーも「元来、音楽の雰囲気は女性的なものだ」との言を書物に残している。

 

さてさて、ここまで、天上気分で文を認めてきたが、楽譜そのものは音を鳴らしはしない。

単なる音化ならパソコンでもできるし、音程そのほかの完璧さならそれに限るともいえよう。ところがパソコンには心も魂も霊もない。お客様に音楽を食して頂くにはやはり味見しながらの音化活動を通す必要がある。歴史の中で、作曲と演奏の両活動はここまで専門化し、だからこそ、美よりも面白さに於いて高度な音楽鑑賞も可能になって来ているのだ。だが当然の前提として、楽譜への忠実度はパソコンでもロボットでもない人間様たる演奏者にも求めねばならない。しかるに、楽譜への忠誠心、誠実さは人間ならではのものと思われる。

 

以上は、プログラム冊子の文章に繋がるものでありますが、音楽や芸術全体をも超え、人類の先行きを考える上で避けて通れない切実な問題を紐解きつつ、その為の観点を提供出来ればと思うので、私LMのホームページもご参照頂きたく存ずる次第です。2017.11.20

 

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